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VoodooDaddyO [え]
我が国の現役コレクターについて書いたときに、重要な方を忘れていました。
岡田聡さんです。
岡田さんは高橋先生と同じ精神科のお医者さんです。高橋先生は46年生まれ、岡田さんは58年生まれとお年はひと回り違います。もともと作家志望だった点(岡田さんは絵描き志望、高橋先生は小説家志望で田原総一朗の下で映像制作に関わっていたそうです)、同じ職業、ということで高橋先生と比べられることも多いようです。
ただ、高橋先生のコレクションが我が国の現代アートの表層をまんべんなく掬い上げるものだとしたら、岡田さんのそれはもっと無名の若者を支援するもの、インキュベーター的なコレクションで、そのベクトルはまったく異なります。また、作家に寄り添い応援するのが岡田さんで、作家と知り合うことに興味がないのが高橋先生です。「アートとは崇高なもの」と語る高橋先生と、「アートの魅力は人、崇めるのでなく、一緒に語り合う、酒を飲む、それが楽しい」と語る岡田さん。実はまったく好対照なお二人です。
岡田さんは、これまでご紹介したコレクターの中では、最もご自身がアートの世界に足を深く突っ込んでいるように思えます。「コレクター」と呼ぶにはちょっと異色な、だから僕もうっかり忘れてしまったのですが、ちょっと、これまでのご活動を紹介します。
2003年芋洗坂のギャラリー・コンプレックス・ビルに、住吉智恵さん、吉井仁実さんと共同でバーTRAUMARIS(トラウマリス)を開業します。ここでは小説家やパフォーマー、ミュージシャン、アーティストなどのアートシーンを中心としたクリエーターが数多く集まり、ジャンルを横断したイベントが行われました。(2008年、ビル取り壊しにより閉店。住吉さんが後を継ぎ現在は恵比寿のナディッフ・アパートに入居。)いま「はやり」のオルタナティヴ・スペースのはしりでしょうか。
2005年清澄白河のコンプレックス・ビルにオルタナティヴ・スペースMAGIC ROOM?をオープン。2008年にナディッフ・アパートに移転、喫茶・スナックを加えてMAGIC ROOM??をスタート。2010年からは更に?マークを増やして名称をMAGIC ROOM???とし、新たにブロード・キャスティング・スタジオ機能を充実させてUSTによる配信などを行ってきました。(ブロード・キャスティング・スタジオ機能は2011年に馬喰町のMAGICROOM STUDIOに移転。MAGIC ROOM???はこの3月末をもって終了しました。)
2006年上記の芋洗坂のビルで市原研太郎さん、後藤繁雄さん、ヒロ杉山さん、吉井仁実さんと共にギャラリーmagical, ARTROOMをオープンさせ、ナディッフ・アパートに移転後は同ギャラリーの単独代表となります。(後藤さんもこのときG/P galleryをオープンさせます。)白石正美さんがアドバイザーに加わり、キューインターナショナルを母体に運営され、オープニングではギャラリー・アーティスト11人(赤羽史亮、秋山幸、今村洋平、岩永忠すけ、大庭大介、大田黒衣美、栗山斉、ヒョンギョン、星野武彦、正木美也子、ヤマタカアイ)を紹介する『NEW BEGINNING The show must go on!』を開催しました。(2009年に閉廊、ディレクターだった伊藤悠さんがその遺志(?)を継ぐべく柏にギャラリーislandをオープン。現在ギャラリー・スペースは我が故郷末広町の3331にあります。)
このように自らギャラリーやスペースを運営するほか、コレクターのご他聞に洩れず、コレクション展も開催しています。なかでも2007年から2010年までトーキョーワンダーサイト本郷で開催された「Oコレクションによる空想美術館-magical museum tour」は眼を見張るライン・アップなので、すべて紹介します。(画像は全てトーキョーワンダーサイト本郷のサイトより借用しました。)
第1室「桑原・加藤の部屋-つぎつぎと・なりゆく・いきおいに任せて」(2007年。桑原正彦、加藤泉)
第2室「東恩納裕一・大庭大介・三嶋章義の部屋-デザインと魂」(2007年)
第3室「内田耕造・栗山斉・COBRAの部屋―幻想のHOTEL magical」(2008年)

第4室「ジュリアン・シュナーベルの部屋-ある不器用な潜水夫の詩」(2008年)
第5室「太郎千恵藏の部屋-ポストヒューマンアーティスト」(2008年)
第6室「赤羽史亮・小西紀行の部屋-new new painting」
「Oコレクションによる空想美術館企画 SECRET PHANTOM Ⅱ」(2009年。うつゆみこ、狩野仁美、COBRA、戸田真樹、野口亮平、林絵美子、万代洋輔、エリック・ヴィルロット、浮舌大輔、20Tn!)
第7室「榎倉・松原の部屋-オルタナ(ポスト)モダン1」(2009年。榎倉冴香、松原壮志朗)
第8室「天野・栗原・森元の部屋-オルタナ(ポスト)モダン2」(2009年。天野亨彦、栗原森元(栗原良彰・森元嶺))
アートバトルロワイアル―オルタナティブなアートの地平を求めて― (2010年。第9室:栗原森元、SWAMP PUBLICATION、DIG&BURY。第10室:0000、カオスラウンジ、now、20TN!)





以上ですが、最後の二回「アートバトルロワイアル(ABR)」は特に興味深い企画です。これは、個人で活動しているアーティストではなく、複数で活動している「アートグループ」を7組集め、バトルという方法で展示するものでした。
所信表明(?)の中で岡田さんは次のように語っています。
(前略)
彼らの活動はそれぞれ全く異なります。ただその表現内容を超えて幾つかの共通点があるように思えます。彼らは、その温度差はあるでしょうが既存のアートシーンに対して一定の距離をとって活動しています。ひょっとすると彼らはもう既存のアートシーンなどどうでもよいと考えているのかもしれません。また彼らは、個人的な活動を超えたところに単なる個々人が集まった制作集団といったもの以上の意味を、言い換えれば彼ら自身の活動のアイデンティティーを見出しているように思えます。世界がどんどん変化しているなかで、彼らの活動は本能的に今の時代に対応するリアルなアートのあり方を模索しているように見えるのです。
(中略)
今回は展示の方法として、バトルという方法を考えてみました。バトルと言っても勝ち負けを目的としたものではなく、それぞれのグループの表現内容をより鮮明にさせ、互いの交感をよりリアルに密にすることを目的としたものです。実際には作品展示の水準のバトルと、バーバルな水準のバトルをおこないます。各々のグループにバトルといういささか野蛮なぶつかり合いをしてもらうことによってグループ内のプライベートな表現空間から、よりパブリックな広がりをもつ幾つものコミュニケーション空間が生まれ、そしてその重層的な空間のなかに必ずやアートにおけるオルタナティブな地平が、その姿を露にすると思っています。
「バーバルな水準のバトル」では参加グループ同士が討論を行い、その様子がUSTで中継されるなど、単なる作品の展示にとどまらないこの企画は、岡田さんのいちコレクターにとどまらない資質を物語るに十分なものでしょう。(その後村上隆さんがGEISAIのメンバーや陶芸の青木良太さんなども参加させてABRのメンバーと討論させるなど、企画展終了後もバトルは続きました。)
UST中継の最終夜で岡田さんは総括して次のように語っています。
種明かしをすると、アートバトルロワイヤルという枠組みは、70年代のハーバーマスとルーマンの論争を援用したもの。ルーマンはコミュニケーション論の人だが、社会の複雑性が高まった時に、それを最低限縮減して、その中でシステムを作らなければ社会が回らないとした人。一方、ハーバーマスはシステムに乗ってしまうと、結局、例えば官僚やマスコミの植民地になってしまうと。要するに、ハーバーマスは戦略的行為とコミュニケーション行為ということを言ったのだが、戦略的行為とは優勝劣敗で、あらゆる自分のリソースを動員して「私が一番」みたいなことでやっていくコミュニケーション。コミュニケーション行為というのは、今回のアートバトルロワイヤルの構造なのだが――まあ、黒瀬(陽平)君は無駄だと言ったけれども――こういうコミュニケーションを繰り返していくこと、そこである一定の合意点が出てきた時に新たな地平が出てくるだろうという風に僕は曲解して理解しているのだが、それを援用してアートバトルロワイヤルをやったつもり。
で、ルーマンはシステム論だから例えばアートマーケットだとかアートのシステムみたいなものに対応し、そしてオルタナティブな地平というのはハーバーマス流のコミュニケーション行為ということで、僕はあえて強引に対比の構図を考え、ハーバーマス的なコミュニケーション行為の一つのやり方としてアートバトルロワイヤルをやった。だから、これは本当に延々と時間のかかることで、基本的にハーバーマスとルーマンの論争はルーマンの勝ちで終わっているのだが、しかしこの時代、ハーバーマス的なやり方が復権されるべきだと思っている。
この短い2カ月間の展示やらトークで、新たなアートのオルタナティブが出てくるなんてはなから思っていなくて、これを延々繰り返して、皆が「オルタナティブな地平が必要だね」と動機を共有した時に、その場所がオルタナティブな地平になると思っている。
それをハーバーマスの言葉を援用して言えば、これ(単語を)入れ替えてあるが、
「流布された情報を真理として受け入れ、システムに乗っかって依存してしまうなら、それはアートビジネスの植民地となるであろう。自分自身で考えることを放棄して、真の秩序は維持できない。自由で対等なアーティストがあらゆる強制力が働かない状態で行う、理想的なコミュニケーションを通じて形成される地平のみが秩序を形成する。それがアートにおけるオルタナティブな地平である」
これを最後の言葉としたい。で、最初から言っているように、今の時代、いろいろなものを評価する物差しが原理的に存在しない。結局好き嫌いになってしまう。好き嫌いというのはあまりにも無責任な査定の仕方なので、僕は「接続可能性」という言葉を使って――これはハーバーマス的なコミュニケーションなので優勝劣敗で選ぶわけではないが、周りの要請もあって――、一組だけ接続可能なアーティストを、僕なりに接続可能性なアーティストを発表したい。「栗原森元」君に僕の接続可能性を見出したので、何らかの形でサポートをしたい。
ハーバーマスとかルーマンとか、オルタナティブな地平とか接続可能性とか、とにかく岡田さんの言うことはカッコイイのですが、実際、市原研太郎さんや太郎千恵藏さん、東谷隆司さんを招いてのトークなどは、インテリ臭がプンプンして、左脳人間には堪らないものがあります。
そんな岡田さんですが、現在は馬喰町のMAGICROOM STUDIOを唯一の拠点に、「どくろ興業」の代表として活動されています。以下、どくろ興業の「マニュフェスト」です。
私たちは今「自由」という概念をめぐって考えることこそが重要だ、と思っています。自由とは何でしょう? それは勝手気ままに行動することや、己の小さな物語や感情をただ表出することではない。 自由とは、絶対的な他者からの問いかけに対して答えるその態度そのものなのではないでしょうか。 絶対的な他者は、私たちの行為すなわち生そのものの全てを、有意味化してくれます。 私たちは今この時代、すなわち絶対的な他者の訪れ(9.11、3.11)以後の時代こそ、自由について真に行動できる前提条件が再び整ったと考えます。 そして、現在を生きる今日のアーティスト(真のアーティスト)は、今こそ自由の意味やその状況を間接的、直接的に教え伝達するスポークスマン=伝導師のような存在でなければならないでしょう。 それはきっと、グローバルな資本主義に呑み込まれてしまったアーティストたちとは、一線を画す存在であるはずです。
どくろ興業は、そのようなアーティストの活動を支えるべく登場した新しいプラットホームです。 従来のアートの制度に捕われることなく、アートが社会に対してアクチャルに機能することを目的に、さまざまな興業(=産業を盛んにする)を試みていきます。 どくろ興業と共に感性を研ぎすませ、失いかけていた自由をとりもどしましょう。
そしてABRで接続可能性を見出してサポートすると宣言したとおり、岡田さん率いるどくろ興業は先日まで3331で「F.E.Sー栗原良彰のfantastic eccentric show with どくろオールスターズ」を共催されていました。
これには僕も行ってきましたが、体育館のスペースをすべて使った文字通りの「興業」は、21世紀の見世物小屋、21世紀のサーカスのようで、実に楽しいものでした。(岡田さんご自身も、見物のために自ら椅子を並べるなど、スタッフとして働いていました!)
一面識もない岡田さんですが、その「深入り」ぶりに今後も注目していきたいと思います。

(高橋先生との貴重な(?)ツーショット!)
やりがいの搾取 [あきない]
画廊、コレクターと書いてきたので、最後のプレイヤーにして主人公の作家について書きたいのですが、アート・ビギナー2年生の僕にはまだ作家論を書くだけのものがありません。
そこで前回紹介した山本冬彦氏の御著書及びブログより、興味深い考察をここで引用させて頂きたいと思います。
まずは御著書から。
僕のようなビギナーが読むにはうってつけの「入門書」ですが、中でも興味深かったのが、美大生や若手作家が置かれた厳しい現状に関するくだりです。
ここで山本氏は、「美大を卒業して人気作家を夢見たり、有名美術館の学芸員を目指す若者たちの多くが「やりがいの搾取」に陥っている」と指摘します。
いま世の中には「自分の夢を求めなさい」とか「好きなことを仕事にして自己実現をしなさい」という風潮が蔓延している。もちろんそれ自体悪いことではないが、それで成功する人は一握りである。むかしは親や先生や先輩が「やめておけ」と忠告したものだが、いまそれをする人はいない。才能のないことに気がつかない若者は好きな分野でいつか成功することを夢見て、単純な仕事でも、報酬が安くても、我慢して頑張り、結果として働き過ぎに陥っている。そのような「好きを仕事に」した若者たちを自己責任の論理で追い込んでいき、彼ら彼女らを食いものにし搾取していく資本の非情な論理がある。これを「やりがいの搾取」と呼ぶそうです。
そしてこの「やりがいの搾取」の話は、アート界にもそのまま当てはまると山本氏は言うのです。以下、その要旨を引用します。(カッコ書きは僕の意見です。)
日本でプロのアーティスト専業で生きていけてる人は百人にも満たない。かなり名のある作家でも大学で教えるなどの「定職」があるからやっていける。むかしなら数年挑戦してダメなら諦めたが、いまはなまじバイトなどで苦しいながらも生活できてしまうので、ずるずると夢を引きずったまま中年を迎えてしまう。
アート・マネジメントやキュレーターはプロの作家以上に狭き門。運よく就職できても、経費削減のなか1,2年の契約採用であり中長期の展望が描けない不安定な立場。普段はフリーターを続け、アート関係のNPO、ワーク・ショップ、イベントの手伝いやボランティアとして結果的に利用されている場合が多い。(使う側使われる側の双方に「利用する、される」の自覚がないことが問題です。)
だいたい需給そのものがアンバランスなのだ。作品を買ってくれる企業やコレクター、キュレーターを雇ってくれる美術館や自治体が圧倒的に少ない中で、毎年大量の美大卒業生が世の中に放出される。(確かに卒業制作展に足を運んで思ったのは「こりゃ、きりがないな」ということです。)美大も教師陣もこのことは百も承知だが、これを明らかにすれば自らの職を失うので語らない。厳しく言えば美大は詐欺の確信犯だ。絵好きの若者に甘い夢を持たせ、その後の人生を狂わすかもしれないという自覚を持って、彼ら彼女らの進路にもっと責任を持った大学運営や教育をして貰いたい。
「詐欺の確信犯」とは手厳しいですが、それほど山本氏は「やりがいの搾取」に陥っている美大卒業生の現状を憂えています。そして、解決策としての具体的なソリューションも提案しています。それは美大の学科を日本画、油彩、版画、彫刻などのジャンル、メディウムで分けるのではなく、「芸術家コース」、「芸術起業家コース」、「アート専門職コース」、「カルチャーコース」の4つに分けろ、というものです。
芸術家コースとは野垂れ死に覚悟のコース。ゴッホのように死後に初めて評価されても構わないという生き方。
芸術起業家コースとは生前の成功を目指すコース。村上隆さんのような生き方を目指すコースだそうです。
アート専門職コースとは初めから企業などに就職してアートを活かして専門職として働くというもの。広報やPRの部署がそれでしょうか。
カルチャーコースとは趣味としてアートを楽しむというもの。良家の子女がお嫁入りの箔をつけるために美大や音大にいくというもので、山本氏は「昔ながらの生き方」だと言います。
このうちプロの芸術家と呼ばれるのは、芸術家コースで長期的に生き残った数少ない作家と、芸術起業家コースで成功した一握りの人だけで、特に芸術起業家として成功するためにはアート以外のビジネス・リテラシーが必要になります。大半の作家は芸術起業家としての成功者を真の芸術家ではないと言って軽蔑するそうですが、「やっかみ」に過ぎないと山本氏は言います。そういう作家に限って野垂れ死にする覚悟もなく、芸術家にも芸術起業家にもなりきれず、中間で漂っているそうです。
一方で山本氏は大半の作家が貧乏な理由についても考察しています。
一つめの理由は、一握りのスター作家がマーケットの大半を持っていき、残りの少ないマーケットを大量の作家が分け合うという「構造不況」。毎年大量のやりがい症候群が市場に放出される一方、需要=買い手は一向に増えない現状では、この二極化は今後もますます激しくなると山本氏は予想します。
もう一つの理由は、コストとプライスの関係。アートのプライスは実際の原価とは無関係に決まります。無名の若手作家は原価割れで売らざるを得ず、この時代をどう乗り越えるかが試練の時期で、この時期にほとんどの人がプロの道を断念するそうです。スター作家になれば、巨大な付加価値が乗り、原価の数倍、数十倍のプライスが付けられます。この現象は画壇系の美術界でも同様だそうです。
最近の現代美術系では、画壇系や美大の先生より、現役美大生や卒業したての若手作家の方が高いという逆転現象も起きているそうですが、それでも一時的な人気はあっても、永続的に高値で売れる作家は限られてくるそうです。この点については、山本氏がブログでも興味深いことを書いていたので、以下に引用します。
(引用ここから)
最近のアート不況の中で、市場での活況を呈しているのは一部の人気作家と若手作家であり、実力や名のある中堅作家たちが苦しんでいる。彼らの作品はすごく良いものがあるのだが、かつての販売価格を下げられないということがあって、相対的に高くて買えないという状況にある。しかも、二次マーケットでは相当に安く、これが実勢の市場価格といわざるを得ない。そんな訳で企画展をしても高すぎて売れないので、画廊さんが企画展をしないので、個展やグループ展をできなくなった作家もかなり多い。
(引用ここまで)
つまり、いま高値で売られている若手作家がやがて中堅作家と呼ばれる年齢になったときも、果たしていまの価格でプライマリーで売ることが出来るのか、ということです。
トいうわけで、山本氏の御著書とブログから、日本の美術界における作家の現状と問題点に関する興味深い考察を紹介いたしました。
銀座系の画廊めぐりを愉しまれる山本氏と、東京の右半分ばかりを徘徊する僕とでは、アートに対する趣向はまったく違うような気もしますが、上記の考察には思わず膝を乗り出してしまいました。
さすが東大法学部。三菱レイヨン、大東京火災とご勤務されたビジネスマンです。
そういえばG-tokyoのランチに参加したとき、ご一緒した小山登美夫さんが「一般の大学卒業生の8割が最終的に就職していく。美大はその逆。」と仰っていました。そのときは僅か2割しか就職できないなんて、と半信半疑でしたが、山本氏の書かれたものを読むと本当のようです。
また、先日訪れたあるギャラリーでは日本の若手作家の個展をやっていましたが、年齢とキャリアに照らすと、やや価格が高い印象を受けました。なんでも前にアメリカの超メジャー・ギャラリーで扱われ、そのときについたプライスから下げられないそうです。これなど山本氏のブログの記事に合致します。一度つけた値段を下げられないなんてマーケットはアートぐらいではないでしょうか。
一方で、最近お世話になっている後藤繁雄さんの言葉が忘れられません。
後藤さんによれば、最近の若い作家さんはすぐ諦めてしまうそうです。少し発表して反応が鈍いと、やめていってしまう。その中から「才能」を見つけて、諦めさせない、そのためになんとかその作家を売っていく。それが自称「才能好き」の後藤さんの使命だそうです。
やりがい症候群の話とは少し違いますが、僕は後藤さんのこの話に感動しました。

ギャラリー、コレクター、アーティストとプレイヤーが揃いましたので、今後はマーケットについてさらに考察していきたいと考えています。
コレクター、この不思議ないきもの [え]
アートをビジネスで捉えた場合、プレイヤーは3名です。何よりまず作家がいる。そして作家が作った作品を売る人と買う人がいる。
前回は「売る人=画廊」という商いの不思議さについて書きました。
今回は「買う人=コレクター」と呼ばれる人たちについて書いてみます。
歴史を遡れば、アートというのは時の為政者のものであり、王侯貴族のものでした。やがてそれが一般市民のものになると、事業で財を成した富豪がコレクションをはじめます。欧米にあるプライヴェート・ミュージアムは、彼らの邸宅とコレクションをそのまま見せているものが多く、その質において公立の美術館を凌ぐものものあります。
現役のアメリカ人コレクターで映画で一躍有名になったのが、ヴォーゲル夫妻です。
ワシントンのナショナル・ミュージアムに全てのコレクションを寄贈するはずが、あまりに量が多すぎて(4000点以上!)受けきれず、現在全米50州の美術館に50点ずつ(50×50=2500点)寄贈する未曾有のプロジェクトが進行中です。
我が国のコレクターとしてまず名前が挙がるのが、「松方コレクション」の松方幸次郎(1865‐1950)でしょう。その点数は1万点ともいわれています。(うち約8千点は浮世絵。)
お馴染ときの忘れものさんとのお付き合いで僕が知ったコレクターには井上房一郎(1898~1993)と久保貞次郎(1909~96)がいます。井上はアートに限らず音楽や建築といった文化全般の庇護者でした。来日したタウトを寄宿させ、銀座に伝説のデザイン・ショップ「ミラテス」を開業し、自邸をレーモンドに設計させた人です。若き日の磯崎新さんに群馬県立近代美術館を設計させたのも井上でした。町田市立国際版画美術館の初代館長を務めた久保は、瑛九をはじめデモクラートの画家たちを可愛がり、小コレクター運動を起こした人です。草間は1955年26歳のとき、瀧口修造の企画によりタケミヤ画廊で個展を開いていますが、同年求龍堂画廊で開かれた個展で早くも久保は草間の水彩を買っています。(このとき久保のほかに買ったのは川端康成。)井上も久保もアート・コレクターというよりも稀代のパトロンといった方がしっくりきます。ときの忘れものの社長さんは久保の教え子であり、ご亭主は紅顔の美少年時代に井上の謦咳に接しています。
ほかには、我がタミジ先生と親交の厚かったかみや美術館の初代館長神谷幸之もコレクターの一人でした。
トここまでは、いまは亡き我が国のコレクターの話です。
では現役バリバリでアートを買いまくっている我が国のコレクターにはどんな人がいるでしょう。
駒井哲郎のコレクターとして知られるのが資生堂名誉会長の福原義春氏です。そのコレクションの大半は世田谷美術館に寄贈されてしまいましたが、その後も福原氏はある物故作家の作品を集めているそうです。その福原氏の向こうを張る駒井のコレクターがS氏です。(S氏のことは前にブログに書きましたが、ご本人のご了承を得ていなかったために削除いたしました。)S氏は僕にアートの買い方、ギャラリーとの付き合い方のイロハを教えて下さった方です。
物故作家ではない、現存作家の現代アート・コレクターとして、まず名前が挙がるのは、精神科医の高橋龍太郎先生でしょうか。2009年に上野の森美術館で開催されたコレクション展は記憶に新しいところです。そのコレクション数は現在2000点を超え、いまもなお増殖中です。先生はご家族3人で暮らす生活費を月額30万円と決め、残りの全ての収入を日本の現代作家のコレクションに充てているそうです。
残念なのは、先生のコレクションを常設する展示スペースがないことです。つい最近まで日の出にあったのですが、どういう経緯か、既に閉鎖されてしまいました。日本の現代アートの最良のコレクションを見られるスペースがないのはつくづく残念です。
(写真はフクヘンさんのブログより拝借しました。)
高橋先生が東の横綱とすれば、西の横綱は広島の会社大和プレスの代表、佐藤辰美氏でしょう。
2010年に沖縄県立美術館にコレクション約200点(6億円相当)を寄贈したそうですが、美術館のHPを見てもよく分かりません。
広島には660㎡13室もあるヴューイング・ルームがあるそうですが、こちらは一般公開されていません。なんと佐藤氏の試験に合格した者だけが案内されるそうです!佐藤氏は河原温の『デイト・ペインティング』を購入するに当たり、河原に試験を出され、見事それに合格してコレクションを許されたといいます。合格した者だけが行けるヴューイング・ルームも、河原のやり方を踏襲したのかもしれません。(言うまでもありませんが、河原もデモクラートのメンバーで瑛九門下生の一人でした。)
いまでこそ高橋先生にその座を明け渡した感がありますが、数年前までは間違いなく佐藤氏が日本いちの現代アート・コレクターだったそうです(金額という意味で)。
(右はTARO NASUの那須さん、真ん中はtaimatzの内装も手掛けられた片山正通さん。写真はプラントハンター西畠清順さんのブログから拝借しました。)
高橋先生が東の横綱なら、大関は大林組会長の大林剛郎氏でしょうか。
安藤忠雄設計のゲスト・ハウスには珠玉のコレクションが並び、内外のゲストがもてなされるそうです。

(この凄い壁はオラファー・エリアソンの作品!)
大林組のような大企業のトップがアートのコレクターだなんて、日本も捨てたものではありません。

(左は言わずと知れた安藤忠雄。)
自称「アートのソムリエ」が山本冬彦氏です。山本氏は銀座系画廊のコレクターのようで、本も書かれています。
卒制でもよくお見かけしますので、精力的に若い作家を見て歩いているようです。

個人ではない、コレクター集団として有名なのが、ワンピース倶楽部の皆さんです。
メンバーには一年に一作品(=ワンピース)の購入が義務付けられるアート・コレクターの同好会です。定期的な勉強会のほか、バスを貸切ってのギャラリーめぐりツアーなど、いろいろな催しを楽しまれているようです。
いまや全国組織で、その会員数もたいへんなものといいますから、会員全員の購入額を合計したら、もしかしたら高橋先生や大林氏を凌ぐかもしれません。
代表の石鍋博子さんはいつも素敵なお著物を召していらっしゃるので、アート・フェアの会場などでもすぐに分かります。

先日行われたアートフェア東京で、ツアー・ガイドを務めたお二人のコレクターが、宮津大輔氏と吉野誠一氏です。
宮津氏は「サラリーマン・コレクター」として有名な方で、かつて年収を超える草間の油彩を買った逸話はいまや伝説となっています。千葉のご自宅はアーティストと共同で作った「作品」で、ドリーム・ハウスと呼ばれています。山本氏も「サラリーマン・コレクター」を自称していますが、既に引退されているようなので、現役「サラリーマン・コレクター」は宮津氏です。
ところで僕は宮津氏を「宮津先生」と呼びます。何故なら僕は宮津先生が講師を務めた東京芸術学舎の講座の生徒で、宮津氏とは師弟関係にあるのです。
とても気さくで素晴らしい方です。

もうお一方の吉野誠一氏は68年生まれ、なんと僕と同い年のコレクターです。吉野氏とはTARO NASUで行われたライアン・ガンダーさんのオープニングでお会いしたことがあります。
三宿でSUNDAYというカフェ付きアートスペースを運営されており、ヴューイング・ルームのCAPSULEには僕も何度かお邪魔したことがあります。
ライアンさんのオープニングではそんなにお話が出来なかったので、いつかゆっくりお話させて頂きたいものです。

さて、これらのコレクターに共通の性格というか資質とはどんなものでしょう。
それは皆等しく狂っているということです。
一流のアーティストの条件の一つは、うちにある種の狂気を秘めていること、と言いますが、コレクターも然り。
高橋先生は西尾康之の巨大彫刻のためだけに一つ倉庫を借りているそうです。
これが狂っていると言わずになんと言うのでしょう。
高橋先生は、自身のコレクションのうち、100年後も残る作品、歴史に耐える力を持った作品は、その100分の1だろうと言います。醒めています。
現在2000点ですから、僅か20点です。その100年後の20点のために年間億というお金を費やす。消えてなくなることを自覚しながら。
アート・コレクター、この不思議ないきもの!
タグ:コレクター
画廊、この不思議な商売 [あきない]
一昨年の暮れにファッションとインテリアからアートへのシフトを宣言してから、一年以上が経ちました。
一年経った昨年の暮れにでも何か書くべきでしたが、昨年末から今年の初めにかけては年跨ぎでチャリティのイベントを開催したため、そちらの記事に終始しました。
ただ、チャリティの期間を除いては、美術館、画廊、果ては美大の卒制と、時間が許す限り見て廻っているので、それで少し分かったことを今日は書きます。
画廊、ギャラリーの話です。
アート宣言をした一昨年の暮れの時点で、お付き合いのある画廊は、おなじみ青山の「ときの忘れもの」さんだけでした。それから一年以上が経ち、ほかにも何軒か、気軽にお話できる画廊さんが出来ました。それで少し分かってきたのが、画廊という商いの不思議さです。
公認会計士という職掌がら、これまでいろいろな商いに接してきました。製薬業、内装業、飲食業、IT産業、建設業、小売業、商社、金融業、アパレル、挙げればきりがありません。会計士という仕事の醍醐味の一つは、このように多岐にわたる業種の、かなり奥深いところまで入っていけることです。
ところが、画廊という商いは、これまでまったく知りませんでした。それもそのはず、上場している、或いは目指す画廊というのは聞いたことがありません。会計士が「税理士」として関わることはあっても、本来の役目である会計監査で関わることはまずないはずです。
ですから、いろいろな画廊の方と話して、彼ら彼女らの商いを知ることは、僕にとって新鮮な驚きでした。
いったい画廊という商いは、どのようなものでしょう。
その前にまず、アートのマーケットについて。
アートのマーケットには、プライマリーとセカンダリーがあります。プライマリーというのは、初めて買い手が作品に接する機会です。つまり、現在活動している作家の新作を買う市場がプライマリー・マーケットです。一方、セカンダリーというのは、読んで字のごとく二次市場。プライマリーで買った最初の所有者が、何らかの理由で手離した作品が、次の買い手に売られていくのがセカンダリー・マーケットです。従って、セカンダリーの場合は、物故作家ばかりでなく、現役バリバリの作家の作品も出てきます。プライマリーがいま出来たばかりの獲れたてのホヤホヤなら、セカンダリーは中古です。こう書くとまるでセカンダリーは手垢にまみれているような印象を与えますが、ファッションでもインテリアでも、いわゆる「ヴィンテージ」と言われる作品はセカンダリーでのものです。乱暴な言い方ですが、美大生が初めて売るのはプライマリーですが、ゴッホやピカソの絵はセカンダリーということです。
プライマリーの担い手は画廊です。現役作家を複数抱え、定期的に企画展を開催していきます。そこで発表されるのは原則として新作です。
一方、セカンダリーの担い手の中心はオークションです。ほかにセカンダリー専門の画廊もあります。一切作家と契約せず、作品は全て仕入れて売る、或いは委託販売というやり方です。セカンダリーの画廊はオークションで仕入れることもあれば、同業者間の交換会という場で仕入れることもあります。先日銀座で行われたオークションに参加したのですが、休日だというのに背広を着込んだ男性二名が、ほとんどの高額出品を落札する光景を目の当たりにしましたが、彼らは間違いなくセカンダリーの画廊でしょう。
このように画廊には大きく分けて、プライマリーとセカンダリーがあります。ときの忘れものさんは、どちらもやっています。代名詞でもある瑛九はセカンダリーですが、5月の末から個展開催予定の光嶋裕介さんなどはプライマリーです。一方、ときの忘れものさん同様、チャリティにご協力頂いたTARO NASUさん やtaimatzさんはプライマリー専門です。
このほかに、「貸し画廊」というのもあります。プライマリーであってもセカンダリーであっても、画廊は定期的に企画展を開催していくものですが、貸し画廊は、画廊主が自主的に展覧会を企画するのではなく、定期的な発表の場を持たない作家が自ら、場所を借りて自身の作品を発表するというものです。従って、マーケットの分類ではプライマリーですが、画廊の分類としてはプライマリーとは言い難い、画廊というより不動産賃貸業に近いものがあります。
しかしコレクターは、貸し画廊だからといって馬鹿には出来ません。いまをときめく超売れっ子作家の中にも、無名の若手時代には、一生懸命貸し画廊で発表していた人もいるそうです。例えば、いまはミヅマアートと契約しているスター作家天明屋尚さんも、初めは貸し画廊で発表していたとのこと。

さらに忘れてはいけないのが百貨店です。画廊ではないかも知れませんが、我が国のアート・マーケットの形成に良くも悪くも長く大きな影響を与えてきたのが百貨店の美術品売り場で、彼らの強みは外商が持つ強固な顧客基盤です。平山郁夫や東山魁夷をデパートで買うお金持ちがいるということです。
このような画廊の分類のほかに、当然、扱う作品によって自ずとカラーというものが異なってきます。
僕もこの一年は、ただ闇雲に画廊巡りをしてきました。それで分かってきたのは、画廊が立地するエリアで、扱っている作品のジャンルも変わってくるということです。
例えば銀座。恐らく日本で最も画廊が多いであろうこのエリアで営業する画廊は、洋の東西を問わず、いわゆる巨匠と呼ばれる物故作家から、中高年の中堅作家が多いようです。もちろん若手もいるようですが、やがては同じ画廊で扱う中堅作家のようになることが目に見えている印象が拭えません。百貨店と銀座の画廊は作家がかぶっているように思えます。我がオフィスがある日本橋や京橋、八重洲も同じような気がします。これらの画廊を総称して「銀座系画廊」と呼んだりするようです。総じてどことなく敷居が高いのも銀座系の特徴です。
銀座系と対極にあるのが、G系のギャラリーです。さきの2月に六本木ヒルズでG-tokyoというアート・フェアがありましたが、これは東京で現代アートを扱うトップ・ギャラリーを集めて行ったフェアです。チャリティにご協力頂いたTARO NASUさんや、最近お世話になっているShugoArtsさんも参加されています。
ここに参加しているギャラリーはすべて、欧米のトップ・ギャラリーをモデルに、最先端の現代アートを紹介しているギャラリーです。例えば村上隆さんと並び我が国現代アートのトップ・ランナーのひとり奈良美智さんは、小山登美夫ギャラリーの契約作家です。

このG-tokyoに参加するようなギャラリーを僕は勝手に「G系ギャラリー」と呼んでいます。立地はまちまちですが、主に清澄白河や馬喰町といった右半分と、六本木や白金といったお洒落なエリアに二極化しています。
銀座系とは明らかにカラーも客層も異なりますが、実はこれらG系のオーナーの中には、銀座系の二代目が居られます。ShugoArtsの佐谷さんは佐谷画廊のご子息ですし、hiromiyoshiiの吉井さん(*)は吉井画廊のご子息です。
ほかにG系同様現代アートを扱うものの、まだデヴューしたての若手作家を中心に扱うインキュベーター型のギャラリーもあります。値段もG系より丸が一つ少なく、若いアート・ファンでも気軽に買える作品が多いのが、この手のギャラリーの特徴です。
立地は完全に右半分に集中しています。我が故郷、末広町にあるアーツ千代田3331には、このインキュベーター型ギャラリーが幾つも入居しています。最近とてもお世話になっているバンビナートさんなどはその代表で、若い作家さんの作品が手ごろな価格で手に入ります。但しG系と違うのは、この先、まだどうなるか分からない作家さんなので、青田買いと応援という側面もあります。
ひとくちにアートと言っても、絵画、写真、彫刻、版画、映像と、そのメディウムは多岐に渡ります。現代アートのギャラリーであればいずれも扱いますが、特に力を入れているジャンルによってギャラリーを分けることも出来ます。
G系でいえば、TARO NASUさんはコンセプチュアル・アートに力を入れています。Taka Ishiiさんは写真です。
エリアでいえば、新宿や恵比寿には写真のギャラリーが多いように思います。
このように、プライマリーかセカンダリーかというマーケットの違い、作家・作品・客層・価格帯というコンテンツの違いなどで、画廊・ギャラリーを色分けすることが出来るということが、分かってきました。
ここまでは、少なからずファッションやインテリアとも重なるところがあります。
ここで僕が最も書きたかった「不思議」は、画廊特有の商いの仕方です。
例えば、服や家具を買うときは、皆さんどうされますか。
お店に行って見る。気に入ったものがあれば買う。その場で支払って持ち帰る、或いは家具なら送って貰う。
これが我々の慣れ親しんだ買物の仕方だと思います。
ところが・・・・・
画廊の場合、ちょっと違います。
まず、画廊に行く。洋服屋や家具屋と違って、取扱作品の全てが陳列されている訳ではありませんから、興味のある企画展を選んで行く。すると少ないものなら数点、多くても十数点の作品しか並んでいない。原則、その僅かな中から買いたい作品を選ぶ。もし気に入ったものが売れてしまっていたり、高くて買えないという時には、過去に発表した作品のポートフォリオを見せて貰い、そこから選ぶという買い方もあります。その場合すぐに現物は見られないことが多いので、後日改めてギャラリーに行く。
まあ、ここまではいいとしましょう。
問題は作品を購入したときの支払いの仕方です。
洋服や家具なら、その場で支払いを済ませます。僕ならほぼ100%クレジット・カードで支払います。マイルを貯めているからです。
しかし、画廊は違います。
作品を選んだら、では宜しく御願いします、とか何とか言って、その場を立ち去ります。
後で請求書が送られてきて、振込みをするのです。
これには初め戸惑いました。もちろん、クレジット・カードで支払えるギャラリーもなくはないのですが、原則、請求書による振込みです。
マイルが貯められない僕には残念ですが、その代わり、画廊には「分割払い」という払い方もまたポピュラーです。もちろん、いちげんの客では無理かもしれませんが、馴染になって信用が増すと、分割払いに応じて貰えるようです。それならクレジット・カードでも良さそうなものですが、なぜかそうならない。
古くからある銀座系の因習かというと、そうでもない。エッジの効いた最先端アートを扱うG系であっても、このやり方だけは同じというところが、僕には驚きでした。
よくよく考えると、画廊ほど、昔ながらの商いの因習を踏襲している商売もないのではありますまいか。
扱っている作品がユニークなものなので、画廊主やスタッフと、必然話さなければならない。これはどのような作家がどのようなコンセプトで作ったものなのか。
それはユニクロで服を選ぶ買物とはまったく違います。ネットで買うものとも違う。
徹底した対面販売。売り手と買い手のコミュニケーションが欠かせません。(もっとも有名コレクターの高橋先生のように、何も話さないで買っていく方も居られるようですが・・・・)
この売り買いのやりかたは、魚屋や八百屋によく似ています。奥さん、きょうはイイのが入ったよ、どこどこ産の旬のなになにだ。(作家さんや画廊さんは、「作品を魚や野菜と一緒にしないでくれ!」と怒られるかもしれませんが、これは商いの仕方の話なので、どうか気を悪くされないで下さいまし。)
売り買いの仕方といい、決済のやり方といい、扱っている作品は現代アートという、時代の先端を行くものなのに、商いの根本が昔ながらのとおり、というのが、アート・ビギナーの僕には面白くてしようがないことなのでした。
画廊、この不思議な商売!
(*)hiromiyoshiiはつい先だって、清澄白河のギャラリーを閉め、スペースと契約アーティストの全員を隣に入居していたギャラリーAI KOWADAに譲渡しました。G-tokyoのランチでご一緒した際に、吉井さんにその理由を訊いたところ、「新しいことにチャレンジしたい、そのためにはアーティストを抱えていられない」ということでした。吉井さんは版画をエディションしたり、企業のコンサルティングをしたりと、常にアート・ビジネスの新しいモデル作りに取り組んできた方です。その吉井さんがやりたい「新しいこと」とは何か。注目していきたいと思います。

その絵、いくら? 現代アートの相場がわかる (THEORY BOOKS)
- 作者: 小山 登美夫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/08/06
- メディア: 単行本
草間彌生と瑛九 [え]
さて、そこであらためて草間彌生と瑛九です。
ふたりを比較することにどれほどの意味があるか分かりませんが、似通った作品を見つけることは出来ます。
草間

瑛九

(画像はときの忘れものさんのHPより拝借しました。以下同じ。)
草間

瑛九

2005年7月より埼玉県立近代美術館では、「キュレーターの視点-〈点〉と〈網〉」という常設展を開催していますが、その展覧会についてキュレーターは次のように解説しています。
常設展の特別プログラム「キュレーターの視点」は、自由なテーマの設定、斬新な作品の組合せ、実験的な展示方法などに挑戦することで、美術館のコレクションにユニークな視点から光をあてる実験的な試みです。
第二弾となる今回のテーマは「点と網」。
以前から取り組んでみたいテーマでしたが、常設展リニューアル後の作家特集として瑛九と草間彌生の展示を担当したこともあり、瑛九の点描がもたらす浮遊感のある空間表現の魅力や、草間の網目モチーフがもたらす幻惑的な表現の魅力を、作家という枠組みとは別な視点から探ってみたいと感じていました。
また、先日の瑛九展をご覧になった植田実先生は、次のような感想をブログに書かれています。
たとえば草間彌生の点描と瑛九の点描とを並べる企画展ができたらと思う。点のひとつひとつが自立完結し、集まった全体が生命を得て動き出すような草間の点描の強靭さにたいして、何かを探り求めるような、多分それ故にあまりにも美しい瑛九の点描は、ある意味で「弱い」。その弱さのなかにこそ成長しつづける永続性と尽きせぬ魅力がある。
どうやら、「瑛九VS草間」というのは、美術愛好家、とりわけ美術館のキュレーターや植田先生のような玄人には興味の尽きないテーマのようです。
そこで素人の僕が、瑛九と草間について、比較してあれこれ言うのは、1億年早いのですが、昨年瑛九の大きな回顧展を観て、今回大阪で草間の最近作を観ることができて、ひとつ感じたことがあるので、ここに書かせて頂きます。もちろん、絵画の技術的な話や、影響を与えたであろう美術の流れ(印象派とかアンフォルメルなど)についてあれこれ言うことは、能力的に出来ません。
もっと「ざっくり」した感想なので、玄人の方は、どうぞ怒らないで頂きたい。
まず、ふたりの共通点はなんでしょう?
それはふたりとも「絵描き」であるということです。
いま海外から瑛九のフォト・デッサンが注目されていますが、これは瑛九にとっては「絵」です。写真ではありません。フォト・グラムをフォト・デッサンと呼んだのはこういう訳です。
草間もインスタレーションや彫刻をやりますが、時間さえあれば絵を描いていたい、生まれ変わっても絵描きになりたい、と常々口にしています。
ふたりとも絵描き。それが共通点です。
当たり前だ、馬鹿にするな、と怒らないで下さい。僕はふたりの共通点は、実はこれぐらいしかないと考えています。もしこれに付け加えるなら、ふたりとも稀代のコロリスト、色彩の画家だということです。絵描きであることに変わりはない。
ふたりとも前衛では?
確かに草間はそうです。何しろ自己紹介するときに、自ら「前衛芸術家」を名乗るほどです。
しかし、瑛九はどうでしょう。
ここに強烈な助っ人にご登場願いましょう。引用します。
瑛九に対する誤解の第一は、瑛九に冠せられた「前衛」にあります。瑛九は前衛ではありません。後衛でもありません。
戦後は新しさが最大の価値観でした。進歩的知識人を自負する人たちは、革命分子のアジテーターとなることで自分の存在を主張してきました。瑛九は芸術における革命家ではないかと誤解されました。
(中略)
近代美術を評するのに「前衛」と言う言葉が使われだしたのは社会主義革命と無縁ではありません。社会主義革命の思想を芸術の世界に持ち込んだのはマルセルデュシャンを代表とする「ダダ」運動です。それは価値観の破壊と否定を美学とする芸術運動です。瑛九がフォトデッサンの手法を開拓したことを「ダダ」のマンレイやホモリナギの模倣と考え、だから瑛九は日本の「ダダ」運動の中心者のように誤解されました。マンレイのフォトグラムと瑛九のフォトデッサンはその手法が根底的に異なっています。瑛九が写真術を使ったのは彼の新しさのためではありません。瑛九は「技術は発明されたときから普遍的です。その技術を使うことは新しさではありません。」「新しさは画家の精神です。」と言っていました。
瑛九はデュシャンの対極にありました。瑛九は、古代人と同じ手法、ドローイングで自分を表現しようとしました。瑛九は絵画の原点から離れようとしたことはありません。瑛九の表現にコンセプトはありません。あるとすれば意識の支配下からの解放でしょう。瑛九は、考えて作品を構成しようとする心と戦いました。1937年頃カーボン紙を使ったデッサンを試みています。これは不透明なカーボン紙を使いますので描画した線を見ることが出来ません。視覚的に画面を構成しようとする意識から自分を解放するためでした。この事はこのデッサンを前にして瑛九自身が語ってくれたことです。同じ抽象でもこの点に於いてカンディンスキーと異なります。瑛九は精神が直接手の動きになることを心がけました。
(中略)
浅薄な批評家達が瑛九を「前衛芸術の父」と表現することが的はずれであると理解していただけたでしょうか。日本の批評家は欧米の美術批評に従って、日本の画家を分類し、欧米の画家の批評を当てはめているように思えます。しかし、瑛九の芸術はその類例を他に見つけることが出来ません。欧米との比較で瑛九を見ようとしても何も見えてきません。
この強靭な文章の書き手は、瑛九の評価を「世界の瑛九」にまで高めることに命を懸ける男、加藤南枝氏です。加藤氏は2006年9月12日放送のテレビ『開運!なんでも鑑定団』に瑛九の『田園』を引っさげて登場し、5千万円の評価額を付けさせた方です。視聴者はもちろん番組関係者も度肝を抜かれたなか、当の加藤氏本人は涼しい顔をしていたそうです。

さもありなん、加藤氏のHPを開くと、その『田園』の絵とともに、大きな文字でこう書いてあります。
この絵売ります
そして、その下にこう書いてあります。
日本の歴史と文化を代表する絵画はこの絵です。
日本の文化が欧米と対等であるなら、この絵が国際市場に於いて100億円相当の評価を受けてもおかしくありません。
一歩下がって、少なくとも30億円くらいで売りたいと思います。その目的は瑛九を正当に評価できる人物を国内外から捜し出し、瑛九の名をポピュラーにすることです。
もし外国に渡ることになれば、やがて、この「田園」を日本に買い戻すため売却値の二三倍の金額を提示することになるでしょう。その時初めて真の評価が下されたことになります。
私の目的はそこで達成されます。多分私の死後でしょうが。
100億円、少なくとも30億円で売りたいお方ですから、5千万円という鑑定団の評価には大いに不服だったのかもしれません。
この加藤氏が断言するのですから、間違いありません。瑛九は草間と違って前衛ではありません。(では草間が本当の前衛か僕には分かりませんが、なにしろ本人が自分をそう名乗っているのですから、是非もありません。)
ふたりとも絵描き。コロリスト。草間は前衛でも瑛九はそうではない。
ふたりとも天才ではないのか。
そう仰る方に、僕は勇気を持って言います。
草間は天才です。
でも、瑛九は天才ではありません。
ああ、こんなことを書くと、ときの忘れものの綿貫さんに怒られるかしら。もっと怖いのは、加藤南枝氏だ。ご自身のHPに「この絵売ります」と大書し、少なくとも30億円くらいで売りたい、と仰る方だもの、僕は半殺しにされるかも・・・・。
でも、どうか落着いて聞いてください。
僕の考える「天才」には二つの条件があります。まず、長生きであること。次に、初めから真理を知っていること。
どうです、瑛九が天才ではない、と言った意味がお分かり頂けたでしょうか。
彼は48歳で逝きました。長生きではありません。だから天才ではありません。
なぜ、長生きが天才の条件の一つでしょう。なぜなら天才は、才能をすり減らさないのです。神様が与えてくれた才能が無尽蔵にあるので、どれだけ創造しても、引き換えに自分の命を削ることがない。しかも天才は逡巡しない。試行錯誤がないのです。
一方天才でない人は、血の滲むような努力で試行錯誤を繰返します。限りある才能はその都度消耗していきます。そうして遂にある極みに達したとき、神様の祝福と引き換えに自らの命を差し出すことになります。
80歳を超えてなお進化を続ける草間と、誰も到達し得ない絵画の境地に分け入ったまま48歳で逝ってしまった瑛九。草間は天才ですが、瑛九は天才ではありません。
では、初めから真理を知っているとは、どういうことでしょう。
ここでいう真理とは、宇宙の真理、というほどのことです。
瑛九の点描をご覧になったことのない方に、ひとことで説明するなら、それは「アナログ・テレビの砂嵐」です。夜も更けて、全ての番組が終了した後、暫くしてから現れるあの砂嵐。あれはモノクロですが、あれに色彩が加わったものが瑛九の点描です。それは絶えずうごめき、揺れ、ざわざわしています。加えて、砂嵐と同じようなザーッという音すら瑛九の絵からは聴こえてくるようです。
一方、草間には幼少の頃から水玉や網目が視えていました。そのモチーフはもちろん今でも続いているのですが、今回の展覧会で僕が注目したのは、細いひも状のものです。しかもそれが、まるで震えているように、小刻みに揺れている。
瑛九が最後に到達した「ざわざわした点描」と、草間の最近作に現れ始めた震える細い紐。
これらはいずれも同じものを表していると僕は考えます。それは宇宙の真理、万物の構成要素、左脳が正常に機能している以上、絶対に見ることの出来ない世界です。
瑛九は自分の命と引き換えに、この「ヒミツ」を知りました。しかし、都夫人が恐れていたように、ヒミツの中に吸い込まれてしまった。
一方、天才の草間には初めから視えていました。震える紐は当時まだ水玉や網目にしか視えませんでした。花や犬が人間の言葉で話しかけてきたといいます。左脳が機能障害を起こした人の体験談によると、人間の話し声が全て犬の鳴き声に聴こえたそうです。そして自分の体の境界線が分からなくなり、自分を取り巻く周囲の物質と同化し始めるそうです。草間が空間の全てを水玉で埋め尽くすインスタレーションを想わせます。
初めから真理を知っている草間は天才ですが、自らの努力でヒミツの扉を開けて扉の向こうに行ってしまった瑛九は天才ではありません。
僕がふたりを比較して、いちばん言いたかったのは、このことです。
前衛の草間彌生と、前衛ではない瑛九。
天才の草間彌生と、天才ではない瑛九。
さて、あなたは、どちらに惹かれますか。


どちらも絵描きです。
クマンバチガ クレバイイ [え]
一昨年の末に「アート宣言」をしたきっかけが、北川民次のエスキースであったことは、前に書きました。
何も知らずにBEAMSでオノサトと靉嘔の版画を手に入れ、この三人が「久保貞次郎」なる人物と密接に結びついていることを、おなじみ「ときの忘れもの」の綿貫さんに教えて頂き、単なる偶然を必然と思い込む生来の単細胞が、僕をアートにのめり込むませることになったのです。
この久保貞次郎が、肩入れして止まなかったのが、瑛九です。
中原佑介、東野芳明と並んで美術評論の「御三家」と言われた針生一郎は、こう書いています。
わたしは五〇年代末、『芸術新潮』の異色作家特集に書いたとき、「瑛九という名を聞くと、わたしはジンマシンにかかったみたいに、全身がむずかゆくなる。彼を知る人びとはみな、瑛九はすごい、天才だなどというが、彼は病気がちでめったに東京に出てこないから会えず、作品をみる機会も少ない」という書き出しで、「瑛九を神棚に祭りあげるな、久保貞次郎から解放しろ」と結んだ。
針生がこう書くほど、久保は瑛九の庇護者だったようです。
タミジ先生は凄くいい。オノサトと靉嘔もいい。
しかし瑛九は・・・・・
正直に申せば、初め、ときの忘れものさんのHPで瑛九の作品群を見ても、僕にはあまりピンと来ませんでした。
それは、あまりに作風が多彩で、掴みどころがない、捉えどころがないためでした。
例えば、タミジ先生の絵ならひと目で分かります。オノサト然り、靉嘔然り。いずれもスタイルがはっきいしていて、ひと目でそれと分かるのです。
ところが瑛九ときたら、具象的な絵があるかと思えば、

(画像はときの忘れものさんのHPより拝借しました。以下、別記なければ同じ。)
抽象的な絵がある。

印画紙に直接焼いた写真のようなものがあれば、

シュールな絵柄の版画もある。

いったい、どれが本当の瑛九なのか。「これぞ瑛九」というのは、どのような作品なのか。
僕にとって瑛九は「理解不能」な芸術家でした。
分からないなら、分からないで、いいではないか。そんなご意見もあろうかと思いますが、僕にはそうもいかない事情がありました。浦和にあった瑛九のアトリエには、彼を慕って連日、若い作家たちが集ったといいます。靉嘔、池田満寿夫、磯辺行久、河原温、福島辰夫、細江英公ら「デモクラート美術家協会」の面々です。その誰もが後に、世界的なアーティストとなったことは周知の事実です。それだけならまだいい。問題は、彼らほど頻繁ではないにせよ、その中に、一人の若き建築家が交じっていたという事です。誰あろう、磯崎新さんです。
これほどの人たちに大きな影響を与えた瑛九とは何者なのか。
そして死してなお、内外に若いコレクターを生み続けるこの「水脈」の源流はどこにあるのか。
僕にとって瑛九は、分からないでは済まされない、避けては通れない、大きな「謎」だったのです。
こんな理由から、生誕100年を記念して昨年埼玉で行われた瑛九展には、まなじりを決して臨みました。
瑛九を名乗る前の本名「村田秀夫」時代の作品から始まって、エスペラントの影響、おなじみ変幻自在のメディア。一昨年から猛スピードでアートを観てきて、少しは慣れてきたせいか、当初持っていた瑛九への「分からなさ」が、雪がジンワリ融けるように、少しずつ和らいでいく気がします。
ある油彩の前で、妻が思わず声を上げました。

なんだ、草間先生より、瑛九が先にやっているじゃない!
妻が思い出していたのは、前に吉祥寺美術館で見た、ある草間の版画でした。

確かに、似てなくはないですが、瑛九のほうが、よりチャーミングです。
チャーミング。
瑛九の展示を観ていて感じたのは、この「チャーミング」という感じです。
銅板やフォト・デッサンに多く見られる男と女のモチーフ。


まるでイタズラっ子が描いたような、小さなモンスターたち。


「ユーモラス」とは違う。「チャーミング」こそ瑛九ではないか。
瑛九という大きな謎が、少しずつ解けてきたような気がしました。
瑛九、分かるかも!
ところが・・・・・
そんな淡い期待を胸に、最後の展示室に入った途端、僕の浅はかな思い込みは、粉々に砕かれます。
そこには、とんでもないものが待ち受けていたのです。

(画像はこちらのサイトから拝借したものです。以下同じ。)
それは瑛九が1960年に亡くなるまでの2年間に描き続けた、一連の点描画の群れでした。
58年に瑛九は、創美運動の中心メンバーだった福井県の小学校教師、木水育男に宛てた手紙にこう綴っています。
僕は啓蒙家で、絵画の周囲をぐるぐるまわっていて画家だと思っていたのです。(中略)こういう自己から脱出して絵画の中に突入できるかどうか、最後の冒険を試みようとしています。
油絵の表現をおしすすめるためには油絵を描かねば ぜったいその方法をかくとくできぬものなのです。2、3枚かいては思想だ ポエジーだと議論していても油絵のヒミツはつかまえることができない。
また、靉嘔に宛てた手紙にも、次のように書いています。
5年ばかり画壇に背をむけて最後のカケをやるつもりで大作をかくつもりです。
これらの言葉の通り、瑛九はほとんど外出もせず、孤独な画業に専念し始めたといいます。
以下、宮崎日日新聞のサイトより引用します。
(引用ここから)
1960(昭和35)年2月、東京都・銀座兜屋画廊で「瑛九油絵展」と題する展覧会が開かれた。瑛九が文字通り命を削って描き上げた、油彩点描画大作9点の初披露である。
訪れた友人たちは、彼が到達した新たな画境の深さに息をのんだ。一方で、ずらりと並んだ美しい絵画の奥底に、どこか空恐ろしい気配を感じ取る者もいた。
「瑛九は大丈夫なのか?これだけの仕事ができたのはただごとではない」。ある画家はそんな不安を漏らした。心配を裏付けるように、個展初日から、作者である瑛九の姿は会場のどこにも見えなかった―。
時間は3カ月前にさかのぼる。59(昭和34)年11月10日夜、大作「つばさ」を制作中に激しい腹痛に襲われた瑛九は、埼玉県さいたま市の浦和中央病院に入院することになった。
検査結果は腸閉塞(へいそく)。加えて腎臓にも、腎硬化症の兆候があることが判明した。この数年、毎日14時間を点描画制作に割いた日々の過労が、予想以上に体を弱らせていたのだ。
約1カ月後の12月19日、退院。同市の自宅で療養することになった。病床でも仕事への意欲はやみがたい。久々の個展「瑛九油絵展」を構想して計画を練る一方、具合の良い時を見計らい、中途に終わっていた「つばさ」を描き継いで、ついに完成させている。
揺るがない絵画への情熱。しかし退院からわずか19日後の60(同35)年1月7日には、再入院となってしまう。病状は悪化の一途をたどり、同年2月24日に東京都神田の同和病院に転院して以降は、尿毒症の症状も出てきた。
衰弱していく。精神にも弱りが見え始めた。「絵が描きたい、絵が描きたい」。そう言って涙を流すことさえあった。そんな夫に、妻の谷口都は小さなスケッチブックと色鉛筆を買ってきた。瑛九は喜び、早速デッサンを1枚書いた。
「ヒミツ」という哀切な詩を瑛九が書いたのは、その翌朝のことである。
「くまんバチガ/マイアサ サシタドガ/イタカ イタカ/ナイテイマシタ/クマンバチハ/白衣の天使/ガ サスノデス/ナンタラコトダベエ/ソレデモ アルアサハ/カナシクテ/アマリアマリ カナシクテ/イタイ イタイ/クマンバチガ/クレバイイト/イノッタノデス」
「ヒミツ」を書いた2日後の同年3月10日朝、目覚めた瑛九は、傍らの都にしみじみと語り掛けた。「僕は元気になったら、とても素晴らしい油絵がどんどん描けるような気がするよ。早く退院して大きな作品が描きたいなあ」
病状が急変したのは直後だった。呼吸困難に陥り、のたうち回って苦しんだ後、瑛九は静かに息を引き取った。直接原因は急性心不全。享年48歳。「絵が描きたい」―。最期の、そして生涯抱き続けた純粋な願いは、ついに再びかなわなかった。(敬称略)
(引用ここまで)
一連の点描の大作は、文字通り瑛九が命を削って描いた作品なのです。
展覧会場で、これらの作品を観たとき、僕は思いました。
やりすぎだ。これは死ぬ。ここまでやったら死んでしまう。
そう思わずにはいられないほど、瑛九の点描には、凄まじい鬼気が宿っていました。これほど人間の気迫と執念が宿った絵を、僕はほかに知りません。怖ろしいものを見た・・・それが率直な感想です。
絶筆となった『つばさ』です。

都夫人は当時を振り返り、「この絵を見るのは、怖かった。あの頃、瑛九の命がこの絵の中へぐんぐん吸い取られて行くように思えた」と言っています。

瑛九を知らない人、或いは彼の点描をじかに見たことのない人には、是非これらの絵を見て貰いたい。
その砂嵐のような点描の中には、一人の画家が命を懸けて描いた絵がどんなものか、瑛九という画家がどういう画家だったのか、秘密の鍵が隠されています。
イタイ、イタイ、と泣きながら、ついに瑛九は絵画のヒミツをつかめたのかしら。
(つづく)

永遠に進化する画家 [え]
大阪でセミナーがあり、壇上で喋るついでに、草間彌生の個展を観て来ました。
草間のドキュメンタリー映画『わたし大好き』のなかで描き続けていたマジック・ペンによるモノクロのシリーズ『愛はとこしえ』や、

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昨年夏にNHKで放映されたドキュメンタリー番組『世界が私を待っている 前衛芸術家 草間彌生の疾走』のなかで描き続けていたアクリル絵具によるカラフルなシリーズ『わが永遠の魂』が観られます。
特に後者は、マドリッド(王立ソフィア王妃芸術センター)、パリ(ポンピドゥー・センター)、ロンドン(テート・モダン)、ニューヨーク(ホイットニー美術館)と、世界四都市のトップの美術館を巡回する大回顧展のために描き下ろされたシリーズで、日本ではお目にかかれないと思っていただけに、小躍りしてホテルから歩いてすぐの国立国際美術館に向かいました。(このシリーズ、NHKの番組では目標の100枚を達成するところで終わっていましたが、現在もなお描き続けられ、その数は140枚を超えたそうです!)

会場内には夥しい数の反復と増殖が、ほぼ正方形に近い真四角なカンヴァスに納められて、整然と並びます。描かれているものは異常なのですが、カンヴァスのサイズと形、並べ方があまりに整然としていて、まるで何かの科学標本やサンプルの類を観ているようです。
ひとつはっきり言えることは、80歳を越してなお、草間が進化し続けているということです。
93年のヴェネツィア・ビエンナーレに草間を起用して、彼女を「世界のクサマ」に押し上げた立役者、建畠晢氏(京都市立芸術大学学長、埼玉県立美術館館長)は、図録の解説で書いています。
まず、『愛はとこしえ』について、「その即興的で軽やかな手の動きは従来の緻密なネット/ドットの作品には見られなかったもの」と指摘し、04年の森美術館での「クサマトリックス」展で初めて現れた「女性の横顔」が、このシリーズに繋がっていると言います。

そして、『わが永遠の魂』については、「渡米以来の草間のタブローにほぼ一貫して維持されていたオールオーヴァーな構成が解体してきている」と指摘し、華やかな色彩、拡大した水玉、具象的、有機的形象の浮遊により、画面は「生命の讃歌」ともいる、よりナラティブ(物語性)なものになっていると言います。

04年に「クサマトリックス」展を観た人の多くは、そこに草間の仕事の集大成を感じ、彼女がやりきった思いを強くしました。ところが、それから彼女は『愛はとこしえ』50枚を描ききります。我々は驚き、これこそ彼女の到達点だったかと反省させられます。マジック・ペン、モノクロ、即興的なドローイング。芸術家が最後にたどり着きがちな「素朴」な表現に、誰もがそう思ったのです。
ところが・・・・
その後も彼女は変わり続けました。まさに『わが永遠の魂』というタイトルどおり、彼女の進化は永遠に続きます。それを強く思い知らされたのが、展示の最後の方にある最新の自画像です。

眼の中に鏡が嵌め込まれ、照明が反射して、観る人を妖しく照らします。
80歳を過ぎてこの創造力!!
彼女を反復や増殖、水玉や南瓜といった言葉だけで軽く語ることは決してできません。
今回の展示は僕にとって、彼女の進化を確かめるためのものとなりました。
ところで会場には、他の作品と離されるようにして、2010年の作品が2枚掛けられていました。

お馴染の水玉ですが、形が従来の正円から、ややいびつなものになっています。
この二枚の絵を観ながら、僕は、ある一人の画家のことを考えていました。
1960年に48歳でこの世を去った画家、瑛九のことです。
(つづく)

タグ:草間彌生
切断と接続 [え]
明日まで恵比寿の写美では、『日本の新進作家展』と題して、若手(?)写真家5名の写真展を開催しています。
いつもお世話になっているTARO NASUさん所属の春木麻衣子さんもご出展されているので、先日行って参りました。
会場では偶然にも、敬愛する大竹昭子さんが、同じく出展中の北野謙さんとトークの最中でした。
北野さんとは、ここのところよく遭遇します。
はじめは、福島辰夫さんの評論集出版を記念したトークショウ。細江英公先生のトークの相手を務めていたのが北野さんでした。
次は、この出版と併せて開催された写真講座。第3回の光田ゆりさんの講義に、北野さんもご出席なさっていました。
いずれも場所はギャラリーMEMで、やはり明日まで、北野さんの個展を開催されています。
途中からの参加だったため、初めの話を聴けなかったのですが、壁には見たことのない北野さんの写真が映し出されていました。
それは渋谷の歩道橋か何かを写した作品で、僕がMEMで観た写真とはあまりにかけ離れています。
というより、北野さんの作品はMEMでしか観たことのない、独特の雰囲気を持つ肖像写真しか知らなかったのです。

それで大竹さんとのトークを聴いているうちに分かったのですが、北野さんは、このような肖像写真を撮る前は、そういう、渋谷の街とか、風景写真も撮られていた。ところが、95年に阪神大震災とオウムの地下鉄サリン事件があり、それにショックを受けた北野さんは、写真が撮れなくなってしまった。
何かを求めて向かったメキシコで、リベラやオロスコの壁画に出会い、ふたたびショックを受けます。ベン・シャーンや野田英夫、ジャクソン・ポロックや北川民次も衝撃を受けたのですから、無理もありません。
そこから北野さんの試行錯誤が始まります。この素晴らしい壁画の世界を、なんとか、写真で表現できないか。
ご存知のように、壁画では大勢の人が横長の画面に納まっています。

この大勢の人を、壁画のような水平方向ではなく、垂直方向に重ねていったら、どうなるだろうか?
現像写真を見て、北野さんは震えるものを感じたといいます。

それは、やった!という恍惚感と、何か見てはいけないものを見てしまったような恐怖感が、ないまぜになった複雑なもの。北野さんの肖像写真が誕生した瞬間です。
大竹さんと北野さんのトークのキーワードは、「切断と接続」でした。
写真は、シャッターを押すことにより、時の流れを切り取る、切断のメディアといえます。「常に既に過去」と言われる所以です。
しかし、北野さんはこの肖像写真により、時間の接続がなされていると言います。
実は、北野さんが続けているこのシリーズには、現像をしないで、データだけで人物を重ね続けているものがあります。現像をしないということは、無限に重ねることができるということです。そのレイヤーの下層部には、既に亡くなっている人もいるそうです。そして、これから重なるであろう人には、まだ出会っていない。未来に出会うであろう人たち。
北野さんの写真を通じて、過去の人間と未来の人間が、「接続」しているのです。
もうひとつ。
この肖像写真を発見することにより、北野さんは、ふたたび写真を撮ることが出来るようになりました。
トークでは触れられませんでしたが、これも北野さんにとっては、「接続」ではないでしょうか。
芸術というものは、常に他者との関わりで成り立っています。震災とテロで写真が撮れなくなってしまった北野さんは、その時点で他者との関係が切断されたといえます。それが、新たな表現を手に入れることで、ふたたび他者との関係が接続された。
切断と接続ということについて考えさせられた、とても内容のあるトークでした。
もちろん、このような考察を導いてくれるのはいつも、大竹さんによる鋭い言語=左脳のおかげであることは、言うまでもありません。
トークの後で、展示会場を廻り、春木さんの写真を見て改めて思いました。

(画像はNASUさんのHPより拝借しました。)
フレーム・インする人と、フレーム・アウトするまったく違う人を、一枚の写真に納めて、あたかも一人の人間が歩いているように見せる。しかし画面の真ん中には、いかんともしがたい切断面が入る。これも「切断と接続」です。
写美もMEMも恵比寿です。
明日までなので、まだの方はお急ぎ下さい。若い才能の刺激的な写真が待っています。
忘れないために~御礼並びに売上金と寄附金のおしらせ [ことば]
忘れないために、10人による10冊。
昨年12月11日から昨日1月11日までのあいだ、年またぎで開催させて頂きました。
以下、売上金と寄附金を報告させて頂きます。
本の売上:133,600円
雑貨売上の10%:33,850円
御喜捨:11,802円
第1回の繰越金:741円
以上合計、179,993円。これに7円を足した180,000円を、先ほどお約束どおりミシン・プロジェクトに寄付いたしました。
この寄附金額180,000円は、偶然にも第1回の金額と同額です。
単価の高い家具と違って、100円から始まる古本で、これだけの寄附が出来ましたことは、ひとえに本をお買上下さった皆様と、貴重な蔵書をご寄附下さった10人の皆様のおかげと、心より御礼申上げます。
改めて、今回ご出品頂いた以下の皆様に御礼申上げます。
服飾評論家の中野香織さん。現在発売中の雑誌『サライ』では「紳士のもの選び」というご連載をなさっています。是非御覧下さい。
ギャラリー「ときの忘れもの」の綿貫不二夫さん。明日13日より「第22回瑛九展」が始まります。是非御来廊下さい。
美容院BANGSの福永麻子さん。ステキな髪、カッコイイ髪にしたければ、是非BANGSへ!
アート・コレクターでトランペット奏者の三浦次郎さん。現在ご自身のギャラリーを開廊すべく鋭意準備中とのこと。楽しみにしています!
青山綜合会計事務所のあらフォー女子さんとあぐにまさきさん。日本最強の会計事務所です。
Glyph.の柳本浩市さん。2月25日「アーカイブの時代変遷と地域差異」というテーマでご講演をなさいます。是非ご聴講にお出で下さい。
ギャラリーTARO NASUの那須太郎さんと、ギャラリーtaimatzの細井眞子さん。TARO NASUでは28日より眞島竜男「無題(栄光の彼方に)」が、taimatzでは14日より川上雅史の個展が始まります。是非御来廊下さい。
Fructusの成田博昭さん。ここのドライ・ジンジャーとジンジャー・コーディアルは欠かしたことがありません。千駄ヶ谷にリアル・ショップがありますが、ネットでも買えます。是非食べて飲んでみて下さい。風邪にもよく効きます!
ギャラリー「BookGallery CAUTION」の浜田宏司さん。現在「ART and BOOKS Vol.01」を開催中です。明日13日18時よりレセプションが行われます。是非御来廊下さい。
経営コンサルタント前田隆敏さん。「事業成長」で日本を元気にしましょう!
皆様、大切な蔵書をご寄附くださり、本当に有難う御座いました。
そして何より、御忙しいところ、わざわざこんな下町までお出でくださった皆さんに、心よりお礼申し上げます。
皆さんの「がんばってください」というお言葉にどれだけ励まされたか知れません。
ミシン・プロジェクトのリーダー熊谷さんのご来店にも励まされました。有難う御座いました。
末広町のガレージを使ったチャリティもこれでひとまず終了です。
あれから10ヶ月。
報道されませんが、仮設住宅に暮らす方で、自ら命を絶つ方が増えているということを、どうぞ皆さん忘れないでください。
いつか心から笑える日が来ることを祈っています。
皆さま、ほんとうに有難う御座いました。
猿に読ませるつもりで書け [ことば]
正岡子規が大学予備門の入学試験を受けたのは明治十七年の九月であつたが、英語の力の足らぬことを自覚しながら、場馴れのために受けて見ると、果して英語の問題がむづかしい。(中略) 入学試験は意外に簡単に通過したが、その後も依然として英語に悩まされた。或時何かの試験に、隣の席の人が答案を英文ですらすら書いてゐるのを見て、同級生と自分と英語の力がどれだけ違ふかわからなくなった。その隣の人といふのが山田美妙であつた。
「大川端」(小山内薫)の主人公は、はじめて水神に一宿した翌日、女を車で送らせて自分は鐘ケ淵から川蒸汽に乗る。さうして川蒸汽の窓から水神の森を振り返り振り返り行く。何となく情趣のある一節である。あの川筋のことだから、一銭蒸汽はかういふ人の夢を載せて上り下りしたものであらう。
先に福沢諭吉の読売評を記した。諭吉は、もともと俗談平話をよしとして、本を著した人であった。
こんな話がある。若き日の咢堂・尾崎行雄が、諭吉に、著述の心構えを、たずねた。
君は誰に読ませるつもりで書いている、と反問された。すでに何冊か世に送りだしていた尾崎は、得意げに答えた。「大方の識者に読ませるためです」
諭吉が一笑に付した。「猿に読ませるつもりで書け。世の中はそれでちょうどよいのだ」
ひと握りのインテリ層に、喝采されるような難解な書きぶりは駄目だというのである。「障子の向う側にいる下女が聞いて意味のわかる」ように書いてこそ、意義がある。
店主のテーマ「明治を識る」より二冊を紹介しました。
ブログで紹介した本のうち、以下のものは売れてしまいました。
あらフォー女子さんのテーマ「みんなで一緒にがんばりましょう!!」より、
残すところあと1時間、皆さん、お誘い合わせのうえ、是非いらして下さい。
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